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七回忌法要
2010年06月14日 (月) | 編集 |
義父の七回忌の法要でした。
あれから六年も経ってしまいました。

お寺に10時半集合
11時からはじめるということなので
余裕を持って7時半に家を出る。
出席者は16名。わが家は夫婦だけの参加です。
お寺での法要は30分ほどで終了
卒塔婆をお墓へ運びお線香をあげる。
そして食事場所へと移動。

とあるホテルの懐石料理のお店。
にぎやかに会食はすすみ、三時近くにお開き。
無事に法要は終わりました。

義母は七回忌をつつがなく行うことを
目標に(楽しみに)していたので
ホッとしたようです。
(もちろん、実際に全てを手配したのは義兄夫婦)

義父は突然亡くなりました。

(以下、覚え書きのようなものです^^;)





夜、10時過ぎにダンナのケータイに義兄から電話があり
義父が倒れて病院に運ばれたということでした。
ダンナは深刻な事態になっているなんて全く考えてなかった。
「もう遅いから明日の朝に行くってことでいい?」
いやそういう状況じゃないから。
という答えでまずいと感じ取り、すぐに車で実家に向かうことに。
その後に病院へ行くつもりだった。

土曜日の夜のこと。
いつもならビールを飲んで酔っぱらっている時刻。
しかし、その日は地区の役員の夜間見回りの当番で
家に帰ってきたばかり。めずらしく飲んでなかったのです。
後から考えると不思議。


しばらくすると兄嫁から電話がはいりました。
今は遠出しているということ。
ご自分の病気がだんだん悪くなっているので
動けるうちにお墓参りをしたいというお母さまの希望で
娘ふたりがそれぞれの子どもを連れて
出身地に出かけていたそうです。

義兄からくわしい状況を聞いたそうで
私にも詳細がわかってきました。
病院に運ばれる途中で亡くなったということです。大動脈瘤破裂
そうなるとすぐに自宅に搬送されてしまうらしく
今から病院に行くより
自宅にひとりでいるお母さまのところで
待っていてもらう方がいい。
わかりました。ダンナには私から伝えます。
ダンナさんは気が動転してパニックになりやすいタイプ
きっと高速を突っ走っているはず。
そんな時に亡くなったなんて聞いたら危険なことになりかねない。
「家の近くに着いたら電話して、くわしい事を聞いたから」
とメールしました。

本当に急転直下のできごとで
心の準備なんて誰もできてなかった。
それからお葬式まで嵐の中にいるようでした。
ダンナさんも私も悲しむという気持ちにはなれず
なんだか流されているだけで
目の前のものをひたすら処理していくという感じ。
告別式が終わった8月4日まで約一週間
無我夢中の状況でした。

もちろん、一番たいへんだったのは義兄夫婦
呆然としている義母をささえながら
山ほどせまられる細々とした判断をこなしていました。
ダンナは義母がひとりで残る実家に泊まりっきり
私は毎日電車で2時間半かけて通いです。

長男が合宿に行く予定だったのは告別式の日。
顧問の先生に事情を話して遅れて参加することに。
次の日、電車で合宿先の山中湖まで送っていったのですが
帰りには電車に拒否反応を起こしたようで
めまいがして気分が悪くなり途中下車で休憩する始末^^;
疲れましたわ。

義父は倒れる前日、病院で診察を受けました。
腹部大動脈瘤の手術を近々予定していました。
その日は主治医ではない方の診察でしたが
はじめてのその先生は動脈瘤のある場所を
ぎゅっと握ったそうです。
痛かったし、病院から帰ってきても痛いと言っていた。
とても機嫌が悪かったということです。

翌日、倒れた日は具合が悪そうではあったけれど
夕飯を食べ、ナイターを見てお風呂にもはいり
いつもより早めに布団にはいったそうです。
当時、老夫婦ふたりで暮らしていましたが
義兄がその日はひとりだったので来ていて
寝室まで様子を見にいったところ異変に気づきました。

大動脈瘤が破裂すると血管の中には血液がなくなり
血圧が低下して突然ショック状態になります。
義父は突然意識がなくなり痛みもなく死に至ったようです。
苦しんだ形跡のない穏やかな顔で亡くなっていました。
自分が死んでしまったことに気づいてないかもしれないねと
あとで義兄夫婦たちと話しました。
苦しまずにすっとこの世を去るなんていい死に方だと私は思う。
介護させることもなく、誰の手をわずらわせることもなかった。
私もそうありたいです。


義兄は義父の動脈瘤をつかんだ医師を許せないと怒ってました。
本当に、何でそんなことをしたんだろう…
天下の虎ノ○病院だから間違いないと義父はずっと信じていた。
最後に裏切られた気持ちになる義兄の憤りももっともです。
何が原因になったかなんて誰にもわからないけれど。

義父は長く病床にいたわけではないので
体の衰えがなく、とても立派な骨だった。
骨壺に入りきらないくらいでした。
やつれのないふっくらとした穏やかな顔で旅立ちました。


あの夏は特別に暑かった。
通夜も告別式も暑くてたいへんでした。
あれから六年、月日の経つのは早いです。



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